# 時間は山脈

公開: 2026-10-29T13:05:11Z
概要: 『スローターハウス5』は時間を、同時に存在する山脈として書いた。ビリーは時間の中を飛び回り、人が死ぬたびに「そういうものだ」が続く。決定論は人を静かにさせる。
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先月[『スローターハウス5』](https://calil.jp/search?q=%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B95)を読んだ。ずっと読みたいと思っていた本で、読書会の課題にもなった。ビリー・ピルグリムはドレスデンの地下の肉貯蔵庫で大火を生き延びる。街は灰になり、彼だけが残って、それから時間の中を飛び回り始める。

人が死ぬたびに「そういうものだ」と続く。浮浪者は九日目に死ぬ。最期の言葉まで大したことはないと言っていた。そういうものだ。ヴォネガットは死に感嘆符をつけない。物語はそのまま進む。

私は 2025 年 3 月から決定論を世界観にしている。すべてに因果があり、偶然はなく、自由意志は存在しない。悪い知らせに聞こえるが、生活に落とすと逆になる。どの瞬間も最初からそこにあるなら、昨日を悔やむ意味も明日を心配する意味もない。前から思っているが、人生の大きな苦しみの一つは、過去を悔やみながら未来を恐れることだ。決定論はその両方を下ろしてくれる。

「そういうものだ」にはもう一つ意味がある。決定論者の口癖で、冷たく聞こえるが、決まったことと争わないという意味だ。傍からは諦めに見える。自分では力を抜いているだけだと分かっている。起きたことは受け入れなくても変わらない。怒りや後悔は利息を払うだけだ。やることはやる。終わった後に自分を審査しないだけだ。

書き方も効いている。ビリーは 1955 年、1963 年、トラルファマドール星を行き来する。順番は崩れている。トラルファマドール人は時間を山脈のように見る。すべての瞬間が同時にそこにある。彼らの本には始まりも終わりもなく、断片だけがある。ヴォネガットは小説をその形で書いた。形式は内容に従う。年ごとに順番に書いたら、トラルファマドール人の時間は成立しない。本を閉じて考えたのは、やはり自分の暮らしのことだった。

いい生活は今を気ままに生きることだ。明日を心配せず、昨日を悔やまない。この本を読んで、その確信が少し強くなった。すべての瞬間は山脈のようにそこにある。私はそのうちの一段を歩いている。

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